僕は神戸で生まれて神戸で育ちました。
僕の住んでいた御影(みかげ)という街は、北を向けば山、南を向けば海という実に大雑把な地形のため、街全体がなだらかな坂になっています。
そして山の手、という言葉からもイメージされる通り、山側に住んでらっしゃる方々の方が比較的裕福と言われています。
海風で体がしょっぱくなる程海に近い場所に僕の家はありました。
遊び相手はみんな貧乏で、一色まことが描いたみたいな汚い子供ばかりでした。
酒どころ「灘五郷」の一つで、白鶴とか菊正宗、剣菱なんかの大きくて古い酒蔵がありましたね。
道は狭くて階段が多く、昔いしいひさいちが漫画のネタにしたくらい。
でもそういう細い道を自転車でびゅんびゅん走り回ってました。
1995年、阪神淡路大震災の影響で実家が全壊しました。
東灘区、と言えば当時のニュース映像なんかを見てたかたは覚えてらっしゃるでしょうか。
家屋倒壊数の最も多かった地区です。学校も、酒蔵も、通ってた喫茶店も、好きだったラーメン屋も、いつも集まってた友だちの家も全部無くなってしまいました。
もう15年もたつんですね。
色々大変だったはずなんですが、忘れてしまいました。
まわりを見れば悲惨で切なくて目を覆いたくなるようなことばかりだったんで、無理矢理にでも楽しいこと、面白いことに気持ちを向けてたせいでしょうか。
不謹慎な発言ですいません。なんか楽しいことしか覚えてないんですね。
僕の住んでたテントに友だちが来てくれたり、そこで生きてて良かったパーティをしたり、潰れた友だちん家の廃材でキャンプファイヤーしたり…。
なのでこれをお読みの業界、特にラジオ関係者のみなさま。
震災体験者だからって、間違っても震災・防災特番等に鷲崎をブッキングしないで下さいね。
楽しい話しかできないんで。
鷲崎健